なーんの役にも立たないただの子育てlog - オコキタ日記

海辺の田舎で男児どもを育てる子育てダイアリー

相手に飽きるのは愛じゃなくて恋

そういえば、珍しく自分(旦那)に飽きてないよね~

 

と旦那に言われてしまった。

そ、そんなことねーよ!!

 

 

単なるノロケ、、、ではありません。

それはたしかに事実なのです。

 

 

3年サイクルで相手に飽きていた恋愛

私が「相手に飽きていた」というのはほんとうの話で、

1年目:盛り上がる

2年目:関係に慣れる、落ち着く

3年目:いらないところばかり目につきはじめ、違和感(飽き)が生まれる

 

まあこんな感じでした。

別に嫌いになるわけじゃないけど、

一緒にいる意味も対してなく、かといって落ち着くというわけでもなく

「付き合ってます」と宣言したからそのためだけにいるような。

 

ぶっちゃけ、恋愛なんてこんなもんだろう~と思ってた自分もいました。

 

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だがしかし違った!

旦那の場合、そもそも飽きない。白飯とはよく例えたもので飽きない。

そりゃあ合わないところもあるし、何クソーもあるけど、でも付き合ってから結婚含め4年目。きっと今までと何かが違うんでしょう。

 

そもそも、これは何が違ったのか?

ということから今回の話です。これも考え方の問題に近いのですが、なるほどねえと納得した話です。

 

求め合うのが「恋」、与え合うのが「愛」

ハイ、この話はよく言われている話でもあるので、聞いたことあるよーという方もいると思います。

 

 

ここで大切なのは、「改めて考える」とそうだよな、と思うことが大事かと。

人間すぐ忘れるので、その時はそうだよな!と思ってもしばらくするとすっかり忘れてます。

 

タイムリーにこの本の中にそんなことがかいてありまして、

ああーとすごく納得したので引用します。

相手に何かを望むのは「恋」。

何も望まないのが「愛」

あの世に聞いた、この世の仕組みより抜粋)

 

あ、そうそう確かに。

この一文に全て集約されていると言ってもいいですね。

 

 

確かに、当時は私も相手も

「彼氏(彼女)なんだから○○であってほしい」

「彼氏(彼女)なんだから○○しろよ!」

といったように、自分の中にある「こうあるべき論」と照らしあわせて毎日相手を無意識に評価していたように思います。

 

当たり前だけど、他人なんだから自分のそうあるべき論に完全に沿うというのはありえない話です。自分が相手にそうやられたら

「ンなもんわかるわきゃねーだろ!!!」

ってなるのは目に見えてるので、そりゃあそうですよね。

 

「こうあるべき論」はストレス増えるだけ!さっさと燃えるゴミで捨てよう

なんですかね、雑誌やメディアや周りの人間に「こうあるべき論」っていうのを事前に刷り込まれてるんですかね。日本人は流動的ですから、特にそういうのはありえそうです。

 

○○だからこうすべき

 

と言うのは一つの目安にはなりますが、絶対論には成り得ません。

恋愛だけでなく、昔ながらの風習なんかが根拠の無い「こうすべき論」に縛られたりしますよね。

 

 

そういうわけで、

こうあるべき論的なものを旦那に向けているかと言われると、

全く無いとは言い切れませんが、ほぼないに近い。

好きなようにしたら~?というのが大半です。

 

もし旦那に対してべき論があるとしたら、

弁当箱は袋から出しておいてほしいな~、とかそれくらいです。

(疲れてると袋から出すのも億劫らしい)

 

なんて平和wwwww

 

 

まあ、こういう小さなべき論でも積もり積もれば立派なストレスになりますから

お互いがべき論を燃えるゴミに捨てあって、こうしようとルールを話し合えるといいんですよね。

 

結論

そういうわけで、旦那に飽きないのは

「特に何も求めていないから」

 

という結論になりました。

何も求めてないし、何も期待していない(←いい意味で)

ってことがお互い自分らしく生きるのに大切な鍵になっていたのですね。

 

 

納得したところで、それじゃ~ばいばい菌!